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Zlatí úhoři (TV) 金色のウナギ/釣りキチとナチス

チェコスロバキア映画 (1979)

マルチン・ミコラシュ(Martin Mikuláš)が主演する第2次大戦下のチェコのユダヤの少年の物語。といっても、最近の『ふたつの名前を持つ少年』(2013)に代表されるような、ナチスの魔の手から必死で逃げる少年という定型的なものではなく、大好きな魚釣りで、好奇心いっぱい、あるいは、逞しく生きる少年の姿をほんわりと描いた作品。ただし、オタ・パヴェル(Ota Pavel)の自伝的な同名小説を、自国のTV放映用に作られたものなので、大前提の多くが説明されないまま映像化されている。しかも、原作は、戦前、戦時中、戦後の3部に分かれているが、映画化にあたり一本化しているので、分かりにくい構成になっている。例えば、映画の冒頭、白黒映像で、一家がプラハから郊外に出かける様子が紹介される。しかし、持ち物は少なく、父は釣竿を大事にしているし、バカンス旅行のように見える。しかし、映像がカラーとなり本編が始まると、バカンスではなく、長期の定住の趣を呈してくる。それでは、何のために転居したのか? 映画のほぼ半分37分目までは戦争の「せ」の字も出て来ないので、映画を観ていると、「田舎での釣り三昧の生活に憧れて」とも想像してしまう。実際、前半は釣りのシーンで溢れている。この点を解明すべく原作をひもとくと、「戦前」の部分は、主人公が小さな子供だった頃、如何に釣りの魅力に目覚めていくかが語られている。しかし、その場所は特に決まっていない。一家が、プラハの西南西20キロにあるブシュテヘラット(Buštěhrad)の村に疎開するのは、戦争が始まってからのことだ。しかし、映画では、最初からブシュテヘラットに向かっている。原作の「戦時中」の部分は、ブシュテヘラットの僅か1キロ半南のリディツェ(Lidice)で1942年6月10日に起きたナチスによる大虐殺と、食料不足をどうやって釣りで乗り切ったかが、映画にも反映されている。そして、原作の「戦後」の部分は、映画のラストに活かされている。こうして原作と対比していけば、何となく全体像がつかめるのだが、映画を観ているだけでは、突然に状況が変化する場面が数ヶ所あり、非常に分かりづらい。さらにそれに輪をかけているのが、字幕の問題だ。この作品は、古いチェコのTV映画なので、自国語の字幕が存在しない。インターネット上で入手可能な英語字幕は、明らかに自動翻訳で意味不明。他にロシア語の字幕もあるが、Googleの自動翻訳でロシア語→英語の精度は低い。本題とは逸れるが、映画の冒頭、画面上で、チェコ語の簡単なイントロが数行表示される。最初の1文は、「Proč řeku tak miluji?」。この部分、英語字幕では、「For that I love the river?」となっている。英語になっていない。ロシア語の字幕は、「За что я так люблю реку?」。これを自動翻訳すると、「What I love the river?」となる。英語字幕よりは、少しはマシになっているが意味不明であることに変わりはない。一方、チェコ語から自動翻訳すると、「Why I love river so much?」となる。これなら英語になっている。訳せば、「なぜ、私は、こんなにも川が好きなのか?」となる。長々と英語字幕が如何にひどいかを語ってきたが、言いたいことは、こうした状態で、映画の内容を正確に把握することは非常に困難だということ。解釈の間違いもあると思うが、その点ご了承いただきたい。なお、原作は、http://www.sesity.net/elektronicka-knihovna/Zlati-uhori.pdfに全文が掲載されており。参考にさせていただいた(もちろんチェコ語)。

映画は、魚釣りが大好きな父が、プラハを離れ、河畔にある妻の実家に一家総出で出発する白黒映像から始まる。父は、釣りキチだが、理論だけで腕の伴わないユダヤ人。母は、金髪の非ユダヤ人。3人の息子は全員母に似て、きれいな金髪の持ち主だ。一家は、小さな実家に移り済むと、父が主導して釣り三昧の暮らしを始める。父は、まず、憧れのウナギ獲りに一番小さなプリデルコを連れて出かける。そして、小さな息子に孫針を一杯付けた仕掛けのロープを持たせ、日没近くに、増水した川に入って行かせる。プリデルコは、父の無謀な命令で、危うく溺れそうになる。そのため、次の日は家でお留守番。父と2人の兄が釣りに行く。しかし、プリデルコは、魚釣り名人の伯父に竿をプレゼントしてもらうと、その竿で生まれて始めて見事に魚を釣り上げる。めきめきと腕を上げるプリデルコ。原作では、戦前と戦時中である程度時間差があるのだが、映画では、いきなり村にナチスが侵攻してくる。ユダヤ人ある父と、ハーフの2人の兄は、胸にユダヤの星をつけ、第三帝国で労働に従事すると称して、村を出て行かされる。幼いプリデルコだけは、母の面倒を見るため家に残る。父と兄が出立する前夜、プリデルコは父の好きなウナギを獲ってきて食卓に出すが、村人の調理法が下手で父の口には合わない。母と2人だけとなって食料不足が深刻になると、プリデルコは、監視の目をかいくぐって何度もコイを獲り、生き延びることに貢献する。この時、悲惨な「リディツェ村の虐殺」が起こるが、プリデルコ母子の村はそのすぐ近く。原作では、かなりの影響があるが、映画では曖昧に表現されている。映画は、プリデルコが、父が夢見ていた金色のウナギとめぐり合うところで終わる。

マルチン・ミコラシュは、プラチナ・ブロンドの髪の少年。ハンサムではないが、とにかく金髪がきれいだ。役柄としては、ミミズは平気、コイには顔をすり寄せ、ウナギもつかんで顔のそばに持ってくる。よほど魚が好きでないとできない。竿さばきもなかなか見事なので、本当に釣が上手なのかもしれない。少年釣り師である「釣りキチ三平」にあやかった副題を付けた。


あらすじ

プラハの街の高級そうなアパートから出てくる一家5人。父は大事そうに釣竿を抱えている。そして、オープンカーに乗ると、喜び勇んで出発する(1枚目の写真)。何のためにどこに行くのか全く説明はない。映画の前後関係から類推すると、都会生活に嫌気のさした父が、大好きな魚釣りに専念するため、妻の実家のある河畔の村へ長期の行楽に出かけたという印象だ。時期は不明。戦争の始まる かなり前のようにも思われる。車に乗っているのは、如何にもユダヤ人といった感じの父と、金髪の非ユダヤ人の母。それに、9-13才くらいの子供たち3人。3人とも母親に似て金髪で、ユダヤ人の面影は全くない。一家の行き先は、母の亡き祖母の家だ。しかし、狭い田舎家なので、母は「子供が3人もいるのよ。どこで寝るの?」と心配する。父は、「女性はベッドで。我々男性は…」と言うて、「♪放浪者の家は、どこにでも。月や星が毛布になる」と歌い出す。生来 呑気なたちなのだ。もう2つ父の性格を加えるなら、思い込みが強くて無責任というところか。車は、でこぼこ道を延々と走り(と言っても20キロ程度だが)、停車して埃が収まると、目の前に美しい川面の風景が広がっている。父は、「こんな美しい風景 見たことあるか?」と子供たちに自慢する。母の故郷は、こんなにも美しいのだ(2枚目の写真)。そして、父の望みは、そこで魚釣りをすることだった。
  
  

川を見ると、そこには1人の釣り人がいる。一番小さいプリデルコが、「パパ、あの人は?」と訊く(1枚目の写真)。父は、かつて結婚した時、挨拶に来たはずなので、当然、それが誰かは知っている。そこで、「渡し守であり、魔法使いでもある」と教える。魔法使いと言ったのは、あまりにも釣りが上手だからだ。釣り好きの父にとっては、あこがれの人物なのだ(2枚目の写真)。実は、このプロシェックという人物、子供たちにとっては伯父さんにあたる。それなら、そうと言えばいいのにと思うが、原作でも、この順序となっている。すなわち、プリデルコは、プロシェックを最初は釣り名人として認識し、後になって、それが伯父だと分かる。
  
  

母の実家は、祖母の死後、誰も住んでいない。それでも5人家族には狭すぎる。子供たちは、3m×3mくらいの狭い部屋に置かれたダブルベッド1つで3人が寝ることになったので、騒がしく遊んでいる(1枚目の写真)。一方、父は、着くと早々に、村で1軒しかない食堂兼居酒屋に行ったきり戻って来ない。母を心配させまいと、プリデルコが様子を見に行く。一方、父親の方は、伯父、プラス、村人とウォッカを交わし、店の主人から「ジャングルでコブラに襲われかけたが帽子で救われた」という自慢話を聞かされている。プリデルコは居酒屋に入って行くが、雰囲気に飲まれて父の席に近づけない(2枚目の写真)。代りに、主人の奥さんが仕事をしている調理場に入って行く。すごくきれいな女性だ。「まあ、初めてのお客様ね。可愛い坊やだこと」。奥さんが頭を撫でようとすると、プリデルコは嫌がって、握手する方を選択する(3枚目の写真)。奥さんは、さらに、「パパに会いに来たの?」と尋ね、プリデルコが頷くと、客席に行って、「珍しいお客さんよ」とプリデルコを紹介してやる。息子に気付いた父が、「ああ、来たのか坊主、さあ、こっちへおいで」と呼び付け、「魚、欲しいか?」と訊く。テーブルの上には、各種のコイのソテーが並んでいる。プリデルコは要らないと首を振る。父は、横に座っているプロシェックを指差して、「この人は、お前の伯父さん。魚釣りの王様だ」と紹介する(4枚目の写真)。
  
  
  
  

翌日、家の前で、父がプリデルコに釣り針を見せて説明している。「こいつは 特別なんだ」。「何が?」。「アメリカのマイヤーって会社の釣針だ。ほら、特別に細く尖ってるだろ。ウナギの小さな口にも入るよう、工夫してあるんだ」。父は、村を流れる川にいるウナギを獲りたくて仕方ないのだ。プリデルコは、釣針に触って指に刺してしまうが、父は、「大げさだな。そんなのすぐ治っちまう」と気にもせず、「ウナギはな、神秘的な魚なんだ」と憧れるように話す。そして、エサになるミミズを掘り始める。「ああ、いたぞ! ほら。逃がすもんか」と捕まえると、「こんなに 脂ぎってる。旨そうだろ」とプリデルコの顔の前にぶらさげて見せる。パクっと食べる仕草をするプリデルコ(1枚目の写真)。つい、『How to Eat Fried Worms(ミミズ・フライの食べ方)』を思い出してしまった。父は、ウナギが如何に素晴らしいかを話しながら、どんどんミミズを掘り出す。ミミズが十分集まると、今度は、10本くらいある孫針を使って仕掛けを作ろうとする。そのためにはロープが必要だ。2人の兄は遊びに行って夕方まで戻らないので、プリデルコに「ロープを持って来たら、ウナギ獲りに連れってやる」と持ちかける。要は、近くで、木と木にロープをかけて物干しをしている母の所へ行き、予備のロープをこっそり持って来させたいのだ。プリデルコは、籠からロープを取ろうとして母に見つかり、「何か用?」と訊かれ、居心地悪げに「ううん」と答える。母から、「遠慮しなくていいの。お腹空いたの?」と訊かれて、頷く。「すぐ お昼よ」と牽制されるが、父がイライラしているので、「パンが食べたいよ」と言ってみる。母が取りに行っている間に、予備のロープを背中に隠し持つと、お腹を押さえて落ちないようにする。母が戻って来ると、片手でパンを受け取リ(2枚目の写真)、食べながら、背中を見せないようにバックして父の所へ戻る。「よくやった」と父から褒められ、これでウナギ獲りに連れて行ってもらえることになる
  
  

翌日は雨。母が、「私のロープ知らない?」と訊いても、父は、空が暗くて 川の水が濁っているからウナギが一杯獲れるだろうと、話題をすり替える。釣り名人の伯父がいるので、「行きませんか」と誘うが、「雨が強すぎる」と断られる。父は、プロの意見は無視し、「止むでしょう」と言って、プリデルコを連れて出かける。ウナギは夜行性なので、暗くならないと獲れない。しかも、川は危険なほど増水している。そんな河原を歩かされるプリデルコは、「パパ、水かさが」と不安そうだ(1枚目の写真)。原作では、このエピソードは「戦前」の9つの章の6番目に位置し、かなり詳しく書かれている。その中では、こんな危ない場所を延々と歩かされて、「次第に父に怒りを覚え始めた」とも記されている。しかし、父は、小さな息子の不安などお構いなく、ウナギ漁について講釈を垂れる。やれ、上流から土と一緒に色々な虫が流されてきて魚の餌になるとか、こんな時にこそ金色のウナギが喜んで動き回るとか。そして、よく知りもせず「ここがいい」と場所を決めると、プリデルコに「ここに来て、服を脱げ」と命じる。原作と同じ台詞だ。「どうして?」。「いいから、言われた通りにしろ。一緒に来たかったんだろ、ウナギを獲りに? じゃあ、服を脱げ」。何ともメチャな父親だ。月明かりの下、増水した川に、10才以下の子供を、裸にして入って行かせるとは。信じ難い。プリデルコは、仕方なく半ズボンだけになる。原作では全裸になる。そんな状態で、父は、プリデルコに、ロープを縛り付けた石を持たせる。そして、ロープの長さ一杯まで川に入って行き、そこで石を投げ込めと命じる。プリデルコは、仕方なく川に入って行くが、進めば進むほど水の勢いが強くなる。遂に、「パパ。流れが強いよ」とSOSを発するが、「怖がるな。俺の息子だろ。進め」。プリデルコは腰まで浸かりつつ進んでいく(2枚目の写真)。そして、足を取られて流されてしまう。原作では「水が肩まで達した。次いで首まで。強烈な力を感じる。それは、昨日の川ではなかった。全くの別物、殺人者だった」と書かれている。父は、自分が如何に危険なことをさせていたかにようやく気付いき、「ロープを離すな!」と叫んで必死でたぐり寄せる。そして、半分溺れかけたプリデルコを、危機一髪で助け出すことができた(3枚目の写真)。「これまで吊り上げた最も貴重なモノだな」と冗談を言うが、何とも白々しい。プリデルコを家に連れ帰った父に対し、母の怒りは納まらない。「正気なの? 溺れ死ぬところだったのよ。あなたのせいで」(4枚目の写真)。「だけど 助けたろ」。「あなた、泳げないんでしょ?」。「ロープがある」。「息子の命をロープ1本に賭けたのね? それが、3人の子供の父親のすること? 狂ってるわ!」。
  
  
  
  

翌日、父は2人の兄を連れて釣りに出かける。あんなことがあった直後なので、プリデルコは連れて行ってもらえない。父は、「ママに聞きなさい」と言い(1枚目の写真)、母は「パパに聞きなさい」と言う。2人ともずるい。プリデルコは、結局、犬と暇そうにしている伯父さんに寄っていく。「気分直しに魚でもどうだ」と言われ、手製の魚の漬物をもらう。ガラス瓶から手づかみで取って口に入れる。恐らく強烈な味がしたのであろう。プリデルコの何とも言えない表情が面白い(2枚目の写真)。口直しに一口飲ませてもらった強い酒にも、むせる。伯父さんと一緒にいるのも結構大変だ。可哀想だと思ったのか、伯父はプリデルコを小屋に連れて行き、「さあ、取れ」と長いハシバミの釣竿を渡す。「お前に 持って欲しがっとる」。パーチ(スズキ類の淡水魚)専用の竿だ。この部分は、次のシーンと合わせ、原作では、「戦前」の最初の章『最初の魚』に該当する。さっそく2人と1匹で川へ。伯父は、柳の木の下でさっさと昼寝を始める。プリデルコは、最初は竿を手に持っていたが、何もかからないので、岸辺の石に挟み込んでじっと待っている(3枚目に写真)。それでも反応がない。時間をもて余しているうち、横の石にカエルがいるのを見つけ、睨めっこして遊んでいると犬が吠え始める。魚がかかったのだ。天性の勘で、上手く岸辺近くまで引っ張ってきて、後は、竿を離して手づかみで魚を取り上げる(4枚目の写真)。「やった」。見事なパーチを胸に抱いて「僕のだ」(5枚目の写真)。
  
  
  
  
  

伯父は、パーチをさっと腹開きすると、プリデルコの家の扉にピンで貼り付けて、「よくやった」と褒める(1枚目の写真)。プリデルコは、貼り付けたパーチの真下に座り、大事な竿を扉の横に立てかけ、褒めてもらえる人の到来をじっと待つ。最初に来たのが2人の兄。魚を見て、「誰が貼ったんだ?」と弟に訊く。「伯父さん」。「どこで釣った?」。「柳の木の下。でも、伯父さんが釣ったんじゃない」(2枚目の写真)。「じゃあ、誰が?」。「僕」と言って竿を手に持つ。如何にも自慢げだ。「嘘だ」と2人の兄が同時に言う。そこに父がやって来る。パーチをじっと見て、「よくやった」とプリデルコの頭を撫でる。午後1時、金持ちで口の悪いヤロウさんが来て、「これじゃ食えんな」。午後2時、先日親切にしてくれた店の奥さん来て、「この村の新しい釣り名人ね」。それを聞いたプリデルコの嬉しそうな顔が可愛い(3枚目の写真)。扉の前で長く待っていたかいがあったというものだ。原作でも、この扉の前のシーンはあるが、自慢する人は全員違う(父も来ないし奥さんも来ない)。代りに、デシャという少女が見に来て、「あんたって凄いわね」と言って頬にキスしてくれる。こっちの方が良かったかも
  
  
  

次の日は、伯父も交え、父と3人の子供全員で釣りへ出かける。一番の早瀬まで来ると、伯父が「ここがいい」と宣言する。伯父が子供たちの準備を手伝っている間(1枚目の写真)、父が本の知識を披露するが、誰も聞いていない。実地に釣りを始めると、一番に釣り上げたのは、もちろん伯父。獲った魚を布の上に置くと、「ヘマしたな。覚悟しろ」と言って、頭にナイフを突き刺す。鮮度を保つため、一気に「締め」たのだ。次にアタリの来たのがプリデルコ。大物なので、竿が言うことを聞かない。伯父は、竿を緩めるタイミングと、強く引くタイミングを教え込む(2枚目の写真)。釣り上げたのは、伯父が釣ったより大きな魚。布の上に横たわる魚を優しく撫でてやるプリデルコ。さっき伯父がしたことを知っているからだ。しかし、伯父は、ナイフを見せて、「勇気をもって、命を絶ってやれ」と言う。「痛がるよ」。「そんなことない。お前と戦って、力を使い果たした。お前が勝ったんだ。こいつは、負けたと 知っとる。いたずらに 苦しませるな」。ナイフを受け取ったプリデルコは(3枚目の写真)、覚悟を決めて、魚の頭にナイフを刺し込む。死んだ魚を悲しそうに見るプリデルコ。
  
  
  

ある日、プリデルコは静かな「池」に遊びに来て、中で泳ぐ魚たちを見ている。すると、奥の洞窟で、女性が全裸で水浴びをしている(1枚目の写真)。振り向いた姿は、大好きな奥さんだ。思わず目を逸らすプリデルコ。女性が去ると、なぜか、プリデルコも服を脱ぎ、淵の中に入って行く(2枚目の写真)。そして、崖の下の窪みに手を伸ばし、魚がいるかどうか確かめる。指先に軽く触れる魚。慌てて手を引っ込める。何とか捕まえようと、もう一度手を入れるが滑って取れない。そこで、置いてきた半ズボンに戻ってナイフを取ってくると、「ここにいて、マズったな」と言いつつ、何度もナイフを突き入れて、傷付いて弱った小魚をつかみ出す(3枚目の写真)。プリデルコは、死んだ魚を白い布に包むと、奥さんのいる店に持って行き、「これ あげます」と言って布を開く。奥さんは、「可愛いわね。でも、獲るには早過ぎるわ。まだ子供なのよ」と優しく諌める(4枚目の写真)。プリデルコは下を向き、次いで逃げ出す。彼は、罪の意識から逃れようと川に行き、そこに全裸になって川面に浮かぶの。独白の文字:「川はすべてを忘却のかなたに押しやる」。それにしても、なぜ裸にならなければならないの、さっぱり分からない。原作にも該当する箇所はない。
  
  
  
  

母と3人の子供たちが、山に薪を取りに行くと、斜面に大量のキノコが生えている。子供たちは喜んだが、母は「戦争が始まる」と言って泣き始める。祖母から、「大戦の前に 大量のマッシュルームが生えた」と聞いていたからだ。この場面が、戦争を暗示する最初のシーンとなる。原作でも、『白いマッシュルーム』は「戦前」の最終章にあたる。ただ、タイムスパンは映画よりずっとゆっくりとしていて、「翌年、ドイツ軍が進攻してきた」と書かれている。映画では、何の説明もなく、いきなり村にナチスが現れる。そして、村内の主だった家は没収され、兵士の食料元となる魚には、漁獲禁止命令が下される。そんな状況下で母が料理をしていると、伯父がやって来る。「家を取られずに済んで良かったわ。カロリーナおばあちゃんの形見だもの」。伯父は、釣った魚で物々交換してきた食料を持って来たのだ。親切な人間だ。母は、「密漁したの? もし捕まったら…」と心配するが、伯父は、「ヤギの肉は体力を付ける。体力が付けば体が長持ちする」と、先を読んで答える。その時、「誰の自転車?」とプリデルコが帰宅する。伯父を見つけると、「伯父さん!」と抱きつく(1枚目の写真)。「どうだった?」。「コイだけ」。「コイで十分だ」。プリデルコは、「魚釣りが見張られてる。ドイツの兵隊もいる」と言った後で、「パパが、第三帝国に働きに行くって、知ってた? 兄さん達もだよ。僕も行くのかと。でも、小さ過ぎるって」と話す。そして最後に、「ウナギを獲ってくる。パパが大好きだから」「伯父さん連れてってよ」。「お許しが出たらな」。「パパには内緒」。頷く伯父。プリデルコは、餌になるミミズを一杯掘り出して、伯父の元に急ぐ。そして、「伯父さん、ロープ持ってない?」と訊く。「何のため?」。「ウナギの餌を付けるんだ」。「ロープはない。そんなのは邪道だ」。そして、1匹ずつ釣るのが本当のやり方だと教えるが、前の戦争の時の傷が痛んで、一緒には行けなくなる。プリデルコは、仕方なく一人でウナギ釣りに出かける。そして、直感で、ひとつかみミミズを投げ込むと、ミミズを付けた釣竿を入れ、「ウナギ起きろ。起きて こっちに来い」と呼びかける。その呼びかけに答えるようにウナギがかかる。「1匹目!」。「そこにいるんだろ。分かってる。お前は僕の金色のウナギだ。さあ餌だ」とまた、ミミズをひとつかみ投げ入れる。すぐに2匹目。ウナギの2匹入った魚籠を嬉しそうに見るプリデルコ(2枚目の写真)。彼は、3匹目に挑戦しながら、前に父と出かけた無謀なウナギ獲りのことを思い出す(3枚目の写真)。
  
  
  

父はかねがね「ウナギの燻製は最高だ」と言っている。そして、獲ったウナギを燻製にする最高の材料はアカシアだ。そこで、しこたまアカシアを溜め込んでいるヤロウの元を訪れる。ヤロウは、3匹のウナギを見で「少ないな」と言う。「アカシアは、とても高価なんだ。3匹のウナギじゃ割りに合わん。最低11匹は要る」と突き返す(1枚目の写真)。写真の背後には山のようにアカシアの木切れが積んである。この男、本当にケチなのだ。見かねた伯父が、「ケチなこと言うな。ウチにもアカシアはある。10匹を燻製にできるぐらいな。それにちょっと足せばいいだけだ。あの子のパパが どこへ行くか知っとるのか?」と、とりなしてやる。明日の旅立ちを前にした最後の夕食の席。プリデルコが、「パパ、僕、軽食を用意したよ」と言って、1匹ずつリボンを結んだ燻製ウナギを運んでくる。「お前が獲ったのか?」と驚嘆する父(2枚目の写真)。いつも通りご託を並べた後、「さあ、食べるか」と口に入れる。ところが、その顔が急に曇る。「あのバカ」。ヤロウが燻製をやり過ぎて、ウナギが硬くなってしまったのだ。プリデルコのがっかりした顔が可哀想だ(3枚目の写真)。それにしても、せっかく苦労して獲ったものを一口かじっただけで捨てるなんて、この父親、カッコ付けばかりで優しさがまるでない。収容所で飢えて苦しむがいい、とつい思ってしまう。
  
  
  

翌朝、前日のウナギ獲りで疲れたプリデルコが遅く起きると、家には誰もいない。窓まで行くと、胸にユダヤの黄色い星を付けた3人と母がいる(1枚目の写真)。「パパ!」と叫んで、そのまま窓から出るプリデルコ。父に駆け寄って抱き付く。「もう小さくない、一緒に行く」と再度言い出すが、父は「来てもいいが、ママを一人で置いていけるか?」と訊く。「一緒に 行けば?」。「女性が来る所じゃない。だから、男の誰かが犠牲になって、ママと一緒に残らないと… 守って世話してあげろ。お前ならできる。約束するな?」。「分かった」。父は、最後に、もう一度プリデルコにキスをする(2枚目の写真)。そして、3人は去って行った。原作は作者オタ・パヴェルの自伝的小説で、オタ・パヴェルの父と2人の兄も強制収容所に行くが、3人とも無事生還している。
  
  

恐らく翌日、学校から帰宅すると、誰もいない。食卓の上に置いてある大きな蓋付き皿を開けると、中にはパンのカケラが1個入っているだけ(1枚目の写真)。プリデルコは、鍋に残してあった冷めたスープを飲みながら、大胆な計画を思いつく。さっそく、洋服ダンスの中から、並継ぎの釣竿を取り出し、ダブダブの服を着て袖の中に隠してみる。鏡で見てこれなら見つからないと確信し、村の真ん中を堂々と歩いて河岸に向かう。河岸の手前には「魚釣り厳禁」と掲示されている。河岸に立って大量の魚を見ていると、監視役も兼ねた教会のオプルトから、「仮装パーティーか? 何を袖に入れてる? ひしゃくか?」と声がかかる。教会の下働きなので、竿とは言わずひしゃくと言って通してやったのだ。プリデルコは、いい釣り場を見つけ、竿を出しかけたところで、怖そうな見張りが現れる。慌てて木の陰に隠れてやり過ごすプリデルコ(2枚目の写真)。見張りがいなくなると、すぐに釣りを始め、大きなコイを3匹捕まえたところで(3枚目の写真)、さっきの見張りが戻ってくる。逃げ出すプリデルコと、追う見張り。幸い、オプルトが、教会の小屋に匿ってくれて事なきを得た。
  
  
  

バケツに水を張った中で生きている3匹のコイを見て、母は大喜び(1枚目の写真)。「素敵ね。誰にいただいたの?」。「オプルトさんにもらった」。母は、何と物々交換すべきかを考えている。そこに、プリデルコが「パパと兄さん達はどうするの? パパはタバコ?」と言い出したので、その優しさに、母は思わず息子を抱き締める。ところが、抱いた時に、袖の中の硬いものに触れ、並継ぎの釣竿が見つかってしまう(2枚目の写真)。「そう、これがオプルトさんだったのね? 警察や見張りや監視員からも見られてるわね。何人に見られたの?」。「誰にも」。「嘘は付かないで。見つかったらどうなるか分かってるの? あいつらは残忍だから、血が出るまで叩かれるわよ。二度としないと約束してちょうだい」(3枚目の写真)。「殺されるかもしれない。私にはあなたしか残されていないの」。
  
  
  

母との約束にもかかわらず、翌日も釣りに出かけるプリデルコ。しかし、1匹捕まえたところで、昨日の見張りがこっそりと忍び寄る。危ないところで、捕まらずに済んだが、その後、教会のオプルトさんは、プリデルコの姿を見て小屋に隠れてしまったので、そのまま走り続けるしかない。逃げて、逃げて、最後に「一番恐ろしい」と思っていた男に捕まってしまう。「捕まえたぞ、悪党! 懲らしめてやる、この泥棒め!」と叫んで、男は、棒でプリデルコの尻を叩き始める。しかし、痛くない。男は、プリデルコを可哀想に思い、自分の革鞄を叩いて音を出していたのだ。そして、追っ手をごまかすよう、「泣き叫べ」「フリをするんだ」と囁く。その有難いアドバイスに従い、叩く音に合わせて泣き叫ぶフリをするプリデルコ(1枚目の写真)。あまりに悲鳴が大きいので、追っ手も「もう十分だろ。離してやれ」と言うぐらいだ。それでも、男は「俺が決める」と叩くフリを続ける。追っ手は呆れて去って行く。誰もいなくなってから、男は、「何で、監視されている場所で魚を獲るんだ? やるなら、水車の池でやれ。同じようにたくさん釣れる。ただし、月のない夜にだぞ」と教えてくれる。このシーンは、原作の「戦時中」の全4章の3番目『殺されるかも』と全く同じだ。一見怖そうな顔をした男だが、プリデルコの父と兄が収容所に入れられたことに同情してくれている。しかし、家では、母が怒りに燃えて待っていた。昨日の今日で、約束を守らなかったからだ(2枚目の写真)。「今日が、最後ですからね」「パパと約束したの。あなたを無事に守るって」。「僕だってパパと約束したよ。だから、釣りに行くんだ」。「いいから、言った通りになさい!」。「しない!」。思わず、プリデルコの頬を叩く母。すると、プリデルコは、泣きながら、「父さんたちが どこにいるか、僕が知らないとでも? 収容所に押し込められて 飢えてるんだ。食べないと死んじゃう。だから コイを捕まえるんだ。たとえ、それで、僕が殺されても」。その心からの叫びに、母はプリデルコを堅く抱き締める(3枚目の写真)。
  
  
  

それからの毎日は、秘密の池でコイを釣る毎日が続き、物々交換で 多様な食料が確保できた。母は「私の 小さな釣り師さん。私の 勇敢な釣り師さん」と喜んでくれる。しかし、ある日、プリデルコが学校から遅く帰ってくると、母が心配して待っている。「どこに行ってたの?」。「学校」「校長先生が帰宅させた。危ないからって」。「危ない?」。「リディツェから来た子がいて」。「先生は何か話した?」。「ううん、何か良くないことが起きたから、すぐ家に帰った方がいいって」。「でも、帰らなかったじゃない」。「ドジョウを捕りに小川に行った」。「どこの小川?」。「リディツェから流れてくる小川。だけど、水が枯れてた」「どうしてか知りたくて遡って行ったら、途中で農家の人に止められて、家に戻れって怒鳴られた」(1枚目の写真)。実は、この日、総統命令による「リディツェ村の虐殺」が行われたのだ。500人の村人のうち、15歳以上の男性は全員射殺、女性と子供は全員強制収容所(女性と子供は別)に送られ、村は完全に消滅した。原作では、この虐殺は、「戦時中」の第2章で語られているが、映画と違い、まだ父や2人の兄もいて、村が燃え、悲鳴を聞いたと書いてある。1キロ半しか離れていないので、さぞや恐怖を感じたことであろう。母は、リディツェでの後始末に駆り出され、帰宅する度に涙にくれていたとの記述もある。映画では、母が、「しばらく家を空けるから、プロシェック伯父さんと暮らしなさい」と言うだけで、詳しい説明は何もない。チェコ人なら、それで分かるのだろうが、日本人には、色々調べないと要点が分からない。参考までに、リディツェの虐殺のモニュメントの写真を掲載し、冥福をお祈りする(2枚目の写真)。出典は、プラハの観光局のホームページ(http://www.seeprague.cz/lidice)。
  
  

伯父と暮らすようになったプリデルコ。伯父は昼間から酔っ払っている。「どこにも行くなよ」と言って寝てしまったので、プリデルコは、窓からこっそり抜け出て、昔行った池に行ってみる。以前は裸で入って行ったが、結構浅かったので、今度は服を着たままざぶざぶと入って行き、崖の下の窪みに手を伸ばす。魚は前より大きくなっている。これなら叱られないだろうと、手づかみで3匹捕まえる(1枚目の写真)。成果品を大きな葉でくるんで、前と同じように店の奥さんに持って行く。ところが、店はナチスに厳重に警備されていて玄関からは入れてもらえない。そこで裏口から入ると、奥さんは部屋の中に監禁状態になっている。子供なので入れてもらえ、奥さんに「ニジマス持ってきたよ」と見せる。奥さんは、「ありがとう」と言って、プリデルコを抱き寄せる。その時、ドアの外から、厳しい取調べの声が聞こえる。この店の主人は抵抗組織の一員らしく、落下傘兵を手引きした容疑で調べられているのだ。奥さんは、プリデルコを抱きながら、夫のことを心配している(2枚目の写真)。夫は、隙を見て逃走を企て、結局捕まってしまう。奥さんも、容疑者として連行されて行く。結局、部屋に残ったのはプリデルコ1人。「この子は、どうする?」という係官。そこに伯父が現れ、「俺の子です」と申し出る。「あいつは誰だ?」。「頭の変な酔っ払いです。釣り師で、渡し守。人畜無害の田舎者です」(3枚目の写真)。プリデルコは、無事 伯父の手に戻された。
  
  
  

大好きだった奥さんが逮捕されてしまい、木の洞(うろ)に入り込んで沈み込むプリデルコ。伯父が漬けた魚や強い酒を勧めても、見向きもしない(1枚目の写真)。まあ、前に懲りたから当然かも。しかし、「今日はウナギが釣れるぞ」の言葉には動かされ、伯父と一緒に川に出かける。すると、面白いように金色のウナギが釣れる(2枚目の写真)。大きな容器一杯に釣れたウナギ。プリデルコは、ナイフを取り出して、殺そうかどうしようか迷う(3枚目の写真)。しかし、黄色のウナギが好きだった父を思い出し、1匹をつかみ上げると、「お前はパパのウナギだ」と声をかけ(4枚目の写真)、川に戻してやる。そして、獲ったすべてを川に逃がし、「泳いでいくんだ、サルガッソ海へ」と手向けの言葉を贈る。サルガッソ海とは、ヨーロッパのウナギが回遊して行く北大西洋、アメリカの東に広がる海のことだ。
  
  
  
  

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